◆開催月日 2025年(令和7年)4月3日(木)
◆会場 伊勢幾
◆参加者 4名
卒業から60年経ちました。当時の授業の様子をお話しましょう。カリキュラムはムダがなく濃密な内容で教養科目を欠くものの専門教科では京都大学と比べてもそん色ないものでした。木造の狭い教室の中で教官の情熱が“ビンビンと”伝わってくる熱血した授業でした。尊敬していた先生の一人は「先生方の質は悪くないんだよ」と本音をこぼすくらいで、一方の学生の方も目立たずとも粒ぞろいで就職状況も極めて良好。求人が数多あったのは先輩たちの就職先での実績が評価されていたからです。就職競争では関西の私立大学と善戦、大抵、我が校の卒業生が採用されたのですから。なにしろ私たちのクラスから5人もの卒業生が“天下の“日立製作所に採用され一人は取締役にまで昇進したのです。
私個人も良く学んだと思うし、ここで得た知識がその後の機械設計の仕事に非常に役立ちました。例えば金属工学の知識、流体力学ではベルヌイの式、設計では馬力と回転数とトルクとの関係式(T=71620xN/n)がどれほど役立ったことでしょうか。
今日では有名大学でも見られなくなったようですが英語の原書を傍らにおいて原書に目をやりながら“チモシェンコの材料力学”を講じる都築正之先生(故人)のような教官もおられました。教官の一人、嶋津周二先生(故人)は講義中の脱線が面白かったしロシア語を主にスラブ系の言語を数か国語を勉強されていました(刺激を受けて私も多言語学習が趣味)。他にも取り上げたい優秀な先生方が何人もいらっしゃったのですが割愛します。
さて同窓会、極めて仲の良いクラスだったのですが体調を崩した人が続出して前回16名だった人数が極端に少なくなったのは残念でしたがお陰で内容のある濃い話ができました。先述の恩師の思い出話しや各自の現況報告、旧交を暖め合う楽しいクラス会となりました。これで同窓会の灯を消すこと許さずと再会を誓って散会にしました。
報告者 高木