2018
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14
2018
4
14
2017
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30
2017
6
11
◆ 開催月日 2017年(平成29年) 6月11日(日) ~ 12日(月)
◆ 会場 佐川美術館~琵琶湖コンファランスセンター
◆ 参加者 12名
◆ 内容 懇親会
昭和39年建築卒同窓会(燦久会(サンキュウカイ))は5年ほど前から毎年開催することにしています。毎回、幹事役が熱心できっちりタイムスケジュールや見学場所の資料を作成してくれていましたが、今回は、佐川美術館の建築時に工事の責任者でもあった、福坂君が幹事役でもあり、詳細な建築データを基に建物の説明と、建築時の苦労話やエピソードなど、あまり聞くことのない話を聞くことが出来ました。
平山邦夫画伯の仏教伝来の流れをテーマにした日本画や、彫刻家佐藤忠良の作品などゆっくり鑑賞し、日常を忘れ豊かなひとときを過ごせたように思います。
懇親会は『琵琶湖コンファレンスセンター』で行われましたが、会場に直接合流する人もあり、全員揃ったところで懇親会が始まりました。
55年前の出会いから始まり2年間の学習・遊び・語り合いなど濃密な学生時代を共に過ごし、その後、社会人としてそれぞれが建築関係の道に進み、高度成長時代を経て半世紀余、人間として味のある域に達した『仲間』、会が進むにつれ、気分は学生時代に戻り、大いに盛り上がった会となりました。
その後、聞こえてくる波の音に誘われ、夜の湖畔に出ると、打ち寄せる白波、見上げると、満天の星、懐かしい青春の思い出に耽る時間を過ごしました。
翌日は湖風会館に立ち寄り学内の散策の後、キャッスルロードを歩き彦根城博物館を見学、井伊家の生い立ちなどを見て、佐和山に近い龍潭寺に行きました。寺の解説書によると、ドラマ、女城主直虎に出てくる井伊谷にある龍潭寺を開基として建てられたとのこと、500年以上の歴史を持つ名刹を見学しました。
楽しい内に、幹事が作成してくれたスケジュール通りの会が終わり、次回も来年開催と決まり、寺元穆君に幹事役をお願いし、再会を約して解散となりました。
2017
4
6
◆ 開催月日 2017年(平成29年) 4月6日(木) ~ 7日(金)
◆ 会場 醒井養鱒場~彦根城~かんぽの宿
◆ 参加者 7名
◆ 内容 懇親会
平成26年6月1日大学で開催の学友会総会の前日5月31日にかんぽの宿彦根に10名が集い、次回の開催を決めていた。また彦根城の桜の時期が良かろうと今回の開催となり、参加者を募集したところ7名になってしまった。前回参加で今回不参加となった3名の状況は病気、怪我、地域の寄合と我らが世代も加齢を感じざるを得ない。
米原駅発11時8分のバスにて滋賀県醒井養鱒場に到着、霊仙山(1,094m)の麓に湧き出す清流をたたえた池で渓流魚であるニジマス、ビワマス、イワナ、アマゴが群れをなして泳いでいる。餌を撒くと群れが盛り上がったように跳ね上がってくる。竿を借り群れに投げ入れるとうぶなニジマスが食いついてくる。同場入口にある宮下君の鱒料理店「鱒㐂屋」で即さばいてもらい、刺身・洗いの盛合せ、塩焼き、寿司、フライ、吸い物を堪能した。
醒井からJRで彦根に移動する際、大河ドラマ「女城主直虎」に関係のある井伊谷龍潭寺の彦根寺院が見えるとか見えないとか話している間に彦根に到着。天気予報では雨であるが、曇り空にたまに陽も差す中を、彦根城に到着。我らが世代は、やっぱり井伊直弼、雄壮な天守閣の見える広場で詩吟「彦根城」を詠いじた。ソメイヨシノは咲き始めですが、堀の水面や櫓の白壁にかすかに彩りを付けてこれも一興。築城410年を迎えた彦根城天守閣の急な階段では滑らないように必死に手すりを握り上下したあと、玄宮園へ移動、池越しに見る天守閣は優美な姿。このころから雨が降り出す。
松原湖畔の「かんぽの宿彦根」17:40に到着 奥田君の万歩計は13,000歩数を示している。風呂のあと、18:45から宴会、酒を飲みアクティブなシニアー活動を紹介しながらまた一杯。
これからも拘りと一病を友に、人生を楽しみ、二年後の再会を約束して散会。
2016
8
1
◆ 開催月日 2016年(平成28年) 8月1日(月)~2日(火)
◆ 会場 双葉荘、 湖風会館
◆ 参加者 13名
◆ 内容 懇親会
第16回の同窓会は、久しぶりに地元彦根で開催しました。
これまでは、毎回5月に行っていましたが、今回は8月の彦根大花火大会の日に集まろうと宿泊を2年前から予約し、この日を迎えることができました。
午後4時に宿の車で彦根駅に出迎えたところ、酷暑の中にもかかわらず全員明るい笑顔でした。みんな若い!
美味しい料理を味わいながら近況報告タイム。趣味に励んでいる人、農作業中転倒して入院生活を送った方、ボランティアで活躍している人などいろいろな話で盛り上がりました。
食後はいよいよメインイベントの花火大会。宿の中から見る花火、鮮やかな大輪が夜空を彩り、井伊家のシンボルカラーの赤備えによる赤をメインにした花火が湖面に映え歓声や拍手が沸き起こり童心にかえってはしゃぎました。
翌日は、県立大学の湖風会館で談笑後、広い学内を散策。
夏休みで静かだろうと思っていましたが試験中とのこと大勢の学生がおられ、その混雑の中で学食を体験する。孫のような方々に50年程前の卒業生だと伝えると、「とてもそんな風に見えない若いなぁ」ですって。
すでに世渡りの術を学んでいると頼もしく思ったりしました。
今回は、座間市、加東市をはじめ遠方からたくさんの出席者を得ましたが、花火見物・県立大学の見学とどれも満足の様子で大好評だったのではと、幹事3人は勝手にほくそ笑んでおります。
今後、クラス会は多様な形での集まりもよいのではと、一つ提起できたのではないかと思います。
2年後の再会をめざし心身ともに健康でいられますよう念じながら彦根駅で解散しました。
2016
5
21
◆ 開催月日 2016年(平成28年) 5月21日(土)~22日(日)
◆ 会場 須賀谷温泉、小谷城跡
◆ 参加者 12名
◆ 内容 懇親会
このクラスは昭和39年卒のことから、会の名前を “燦久会” と称している。当然、”Thank you”の意味があると、皆が考えているものと勝手に思っている。
卒業以来各幹事役が熱心で、何年おきかにクラス会が開かれている、その時ごとにいろいろと、遠くからのメンバーも入れ替わって参加している。年を重ねて、変化の兆しの出てきた顔つきと同様に、どんな仕事に、係わっているかにより、生きざまもいろいろあって、話題も多彩でにぎやかである。
もともとこの建築教室へ入学した人達は、北は北海道から、南は九州の島に至るまで全国区から集まっていて、地元の滋賀県生まれの学生はクラスの1/5くらいしかいなくて、当時、短大から4年制への移行の話が県議会で出たとき、他府県の若者に県の税金を使って教育しているのか、と発言した世の中を知らない、器量の小さい議員もいたくらいだから。
それまでは散発的であったが、55歳を過ぎた頃より、2年間の空白のときもあったが、ほぼ連続して開催されている、親密度の高い燦久会である。
今回の計画・実行委員は峰崎聰明君で、近くに在住の、以前からクラス会に熱心な一人である広瀬威士君が経験豊かな相談者となって、バックアップ役となってもらったそうだ。今回の日時は 平成28年5月21日(土)~22日(日)であった。
テーマは「須賀谷温泉にての楽しい語らいと新緑の小谷城跡他 旧跡ミニ探訪」であった。
5/21 14:00JR米原駅集合 → 渡岸寺観音堂十一面観音の拝観 →小谷戦国資料館にて、「その後の生きざまからすると、浅井長政とお市の方は心深く惹かれていたことは間違いない」と、博識のガイドの説明を納得いくまで受ける → 小谷城番所にてテレビドラマ放映記念のでっかい兜を見る →須賀谷温泉 宿泊。
宿での宴会は、52年前、20歳になるかならいないかの、いまから思えばまだまだ頼りない面々が、まるで、これからの日本の建築界を引っ張って行くんだ、との意気込みで、未来に希望を抱き、好き勝手に青春を楽しんでいた、あの短くても良き時代があったことを思い出し、それらの懐かしい話題で盛り上がった。反面、音信が無くこの会に来ていない方のことを勝手に、心配してみたりして夜が更けた。
5/22 朝、温泉旅館からバスで登り口まで送ってもらって、小谷城本丸跡まで軽装のまま山登り、「ここなら相手に攻められても守りは大丈夫、しかし浅井3姉妹はどの道から助け出されたのか?」と、足下を気にしながら帰館し、昼食。
午後は小堀遠州の菩提寺で遠州流庭園のある近江狐蓬庵で「大海と西方極楽を表現した庭」の説明をうける → 浅井道の駅 → 姉川古戦場跡 → JR米原で
来年を楽しみに解散した。
2016
3
16
◆ 開催月日 2016年(平成28年) 3月16(水)・17日(木)
◆ 会場 名古屋市・桑名市
◆ 参加者 13名
◆ 内容 懇親会
思い返せば、世の中は戦後復興を成し遂げ、さらに経済の高度成長をめざし、東京オリンピック・新幹線開通と盛り上がっていた。 正にその年の春 卒業した私たちは、今回 春爛漫の好季に, 亡き友の冥福を祈りながら 集いました。
まず名古屋駅に集合し、再会に胸弾ませ、駅前のホテルで昼食の中華料理に舌鼓をうちました。 一路バスにて「 なばなの里」へ、豪華に咲き誇るベゴニアの温室は天上の花園。夜は眩いばかりのイルミネーションに圧倒され、暫し我を忘れて うっとりと見惚れてしまいました。 数々の感動を胸にホテルへ。
翌日は、六華苑( 旧 諸戸清六邸)を見学。 明治に上・下水道やサンルームを完備し、清楚で落ち着いた和式庭園や茶室の設えの中に、明治の人々が日本の伝統文化を大切に守りながら 西洋のよき文明・文化を取り入れ、近代化を目指しつつ、百年後の日本を見据えていらっしゃたのだなと 、とても心に残る見学でした。お昼は有名な桑名のはまぐり定食を頂きながら、次回の幹事さんも決まりました。
二日間ともに好天に恵まれ、結構なおばあちゃん達も瞬時に学生時代へ、話題は尽きることなく笑顔と共に湧き上がりました。 流行り言葉の「アラハン」めざしてお互い元気でいようねとかたく約束を交わし解散、帰途につきました。
2015
5
16
★ 開催月日 2015年(平成27年) 5月16日(土)12:00~
★ グランドデュークホテル彦根 2F湖鶴の間
★ 参加者 11名
★ 内容 懇親会
五月雨を心配したが、この日は晴れてまさに五月晴れと相成り、50年ぶりの再会で、予め胸につける名札を(旧姓も付記)用意しておいたので これには重宝しました。同期は45名ですがすでに7名の方々が亡くなり その人たちに黙祷を捧げ、 懇親会に入りました。 懐かしい話に花が咲き宴闌で盛り上がりました。
話題は、家族の話、学生時代の思い出話、近況と、、 でもやはり70歳を過ぎての体調の話は避けて通ることは出来ませんでした。 2次会はもとより4次会まで酒を酌み交わし 楽しく過せました。 次期幹事もすんなり受けてくれる者がいましたので、2年後の再会を約束して成功裡に終了しました。 代表幹事 佐々木信一郎
2014
5
31
◆ 開催月日 2014年(平成26年) 5月31日 (土)~6月1日(日)
◆ 会場 彦根かんぽの宿、県立大学
◆ 参加者 10名
◆ 内容 懇親会
半世紀振り、あれから40年ではなく50年、浦島太郎みたい。
やっとのことで第1回目のクラス会を5月31日に開きました。
私達の卒業した昭和39年(1964)は、まさに日本が高度成長期に突入した時で、東京オリンピックが行われ その6年後には、大阪万博が華々しく開催されました。
クラスの全員が工業関係の会社に入り、日夜仕事に没頭した企業戦士であります。
当時クラス39名中既に亡くなった人11名、住所不明が6名。
会が始まる直前には、学友のご冥福を祈り黙とうをしました。
6月1日に県大で学友会総会もあることで、この機会に前泊しクラス会を計画しました。
場所は思い出多い彦根城がみえる、琵琶湖のほとりの彦根かんぽに10名集合。
どこかで出会っても、絶対分からないと思う顔もありましたが、直ぐに学生時代に戻り打ち解け、酒盛り、カラオケ、思い出話に時の経つのも忘れました。
50年間の凝縮された話題は尽きず、各自近況を話す中、海外勤務の楽しかったこと、死ぬほど辛かったこと、お寺の話、病気の話 等々。
まだ現役で陸上競技での記録に挑戦している人、学生時代に詩吟クラブでうなった人が、今なお続けて師範の人、和食レストランをやっている人、神社仏閣を巡っている人、絵画の個展を開いている人、悠々自適で毎日を趣味で謳歌している人、今なお現役で仕事をしている人、地域の世話役、ボランテイア活動をしている人、農園で野菜栽培をしている人など、まだまだ元気はつらつです。
翌朝は全員疲れた顔もなく、次回2年後にも、元気で再会を約束して解散した。
翌日は総会に出席するもの6名と、同泊されていた2年先輩とかんぽのマイクロバスに便乗し県大に向かいました。
「クラス会 世紀に見合う 出会いあり 皆の心根 我が身に滲みる」 小林輝雄さん作
以上
学年幹事 竹﨑達志
2014
5
21
◆ 開催月日 2014年(平成26年) 5月21日 (水)~22日(木)
◆ 会場 湖風会館、双葉荘(彦根)
◆ 参加者 13名
◆ 内容 懇親会
県立短期大学食物科を卒業して50年という歳月が流れました。同窓生は古希を迎え、懐かしい彦根での同窓会を希望、彦根在住の二人が幹事となり5月21、22日の一泊同窓会が実現しました。
当日は、前夜までの雨が上がり5月の日射しが顔をのぞかせ何よりのごほうびとほっと一安心。
まず、ただ一人亡くなった友の菩提寺を訪れました。丁度七回忌の年にあたり、ご住職の読経の流れる中、御焼香をすませました。予想外の計画でしたが、亡き友との思わぬ語りあいが出来たかの様でした。
その後、県立大学にて学食を体験。広大な地の素晴らしい環境の中に立つ学舎をまぶしく見つめました。我々の古くて狭くて粗末だった古き母校を想い返し乍ら、恩師のお陰で得られた栄養士の誇りを今も心の中にも持ちづけていることも確認しました。
一日目は、四番町スクエア、キャッスルロードを散策。近くの足軽屋敷周辺に下宿していた人達は、下宿先を訪ねたり、昔の市場街の変わり様に目を見張っていました。
二日目は、彦根城周辺の散策をしました。お堀の屋形舟にのった人達は、舟からの眺めに御満悦、年齢を考えた素晴らしい計画と絶賛されました。
新緑の美しい彦根での同窓会は、笑顔と声の枯れる程の話し合いのうちに幕を閉じることになりました。
さて、次の同窓会をどうするか、いよいよ難しい問題を抱える年齢となりました。まず健康、そして自分の力で行動できる体力の保持に心がけ,近々の再会を約束しました。